黒牛

くろうし

和歌山県 名手酒造店

和歌山県海南市黒江846番地

名手酒造店の歴史

慶応2年(1866年)創業。創業者、源兵衛は肥料を商っていた名手家の三男で、初めは蝋燭製造に乗り出すも失敗します。 しばらく逼塞した後、本家から二百両を借りて、現在の名手酒造店の北方に江戸時代前期からあった酒蔵(酒造株)を買い取り酒造業に乗り出します。 幕末の黒江の地は漆器職人で栄えており、彼らに向けて酒造りを行い成功を収めます。 明治7年に現在の場所に蔵を移転し隆盛を続け、明治28年には和歌山市内にも別の酒蔵を設けて製造量1300石弱と、一時的に当時の県内最大手の酒蔵にまで成長します。 その後は、清酒に限らず塩田開発、海運業、農地開発などへと幅広く事業を手がけますが、太平洋戦争と戦後の農地改革で酒蔵以外のすべての事業を失い、酒造業として再出発することになります。 この頃の主力銘柄は現在も製造している「菊御代」でしたが、その後主力銘柄は「黒牛」に変わるのです。

名手酒造店の酒造り

家業であれ企業であれ顧客の望むものを造ることができなければ生き残れない。 小規模蔵を継続させることへの覚悟は、「酒で出来た家なら酒に返せばよい。」と開き直ったところで定まりました。 また和歌山県の酒産地としての地位向上に貢献できることを大きな課題としており、山間傾斜地での酒米の契約栽培にも注力しています。 21世紀を迎え3世紀に跨る挑戦は、杜氏制から社員制への転換、高品質かつ地域としての個性を持つ商品の開発、そして一貫してお客様が納得して飲んでくれる酒づくり、 を核として酒造りを継続しています。

黒牛の由来と酒質

和歌山市の南方約10kmに位置する海南市「黒江」は、室町時代から漆器産地として栄えた職人の街です。 かつて奥まった入り江で、万葉集に「黒牛潟」として詠まれた風光明媚の地で、蔵の付近には黒い牛の形をした岩が浜辺にあったと云います。 その後地震による隆起と埋立により黒牛を地名の由来とする黒江の市街地が形成されます。 正当な純米酒を醸すにあたり地元の伝承を背負う覚悟を示すとともに、万葉に昔を偲べるようなまろやかな味わいを目指したことから酒銘としたものです。 麹ともとは「山田錦」、蒸米は「山田錦」「五百万石」などの酒造好適米を用い、長期低温で丁寧に仕上げています。 芳香で、幅と広がりのある旨みや味わいが特徴。 長期熟成にも向いた酒質であり、「酒の勝鬨」では独自ルートによる蔵で貯蔵された「熟成酒」や、当店冷蔵庫による熟成酒「勝鬨熟成(KJ)」などにも積極的に取り組んでおります。

        

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