三千櫻酒造の歴史

明治10年に岐阜中津川で創業し、143年の歴史を歩んできた三千櫻酒造は、2020年11月7日「東川町公設酒蔵・三千櫻酒造」として新たなスタートを切ります。北海道東川町にとって初めての酒蔵として、地元に愛される酒造りはもちろん、中津川で培ってきた酒造りの技と魂のすべてを注ぎ、東川町から日本全国へ、そして世界へ発信できる酒造りを目指しています。場所を変えても酒造りの姿勢だけは決して変わることありません。

岐阜から北海道へ

岐阜県中津川市で生まれ育った三千櫻酒造は、2020年10月に北海道上川郡東川町へ移転しました。距離にしておよそ1550Km以上にもなります。その背景には、蔵の老朽化と地球温暖化により、今まで通りのやり方で日本酒を造ることが年々難しくなってきたことがありました。143年という歴史の重みは壁や屋根にのしかかり、増改築しながら大切に使い続けてきたものの、蔵の維持は常に悩みの種でした。酒造りは設備と自然のバランスが重要です。ある一工程だけ最新の設備を入れても、良い酒ができるとは限らないからです。それ以上に悩ませてきたのは「温度」です。地球温暖化の影響か、ここ数年の暖冬続きで、想像以上に冷却作業が難しくなり、時間と手間がかかっていたのです。そこへ北海道東川町が公設民営型酒蔵を公募しているという話が舞い込んできます。そして三千櫻酒造は「北へ行こう」と決断するのです。

公設民営型酒蔵とは

美味しい水と米があれば、美味しい日本酒も、と多くの人が思う中、残念ながら東川町には「地酒」がありませんでした。かねてから「東川町らしい日本酒」を作りたいと切望していたものの、いかんせん酒造りのノウハウがない。そこで2019年、ついに「公設民営型」という全国的にも珍しい形態での公募に踏み切り、そこへ名乗りをあげたのが三千櫻酒造でした。「公設民営型」とは、酒蔵としてのハードの部分は「公」である町が用意する。酒造りや蔵の運営などソフトの部分は、酒造りのプロである民間の酒蔵に一任する。そんなWin-Winの関係です。北の大地に酒造りの可能性を見出した老舗の酒蔵と、「東川町らしい酒を造りたい」と熱い想いを抱いた北海道東川町の出会いは、運命の糸が引き寄せた奇跡なのかもしれません。

「適疎(てきそ)」東川町

東川町は、旭川市の中心部から車で約20分、北海道のほぼ中央に位置し、旭岳を筆頭とする大雪山連峰の雄大で美しい景色が広がります。人口は約8,300人ほどですが、移住者もあって今もゆるやかに人口が増えており、赤ちゃんや子供たちが多い元気のある町です。東川町が目指すまちづくりのキーワードは「適疎(てきそ)」。密過ぎても過疎でも、人は生きにくくなるものです。「適当な疎がある」からこそ、人として本来の居場所を持つことができる。そんな考えのもと、東川町は自然との共存をとても大切にしています。東川町は「写真の町」として古くから知られていますが、「家具の町」でもあります。木工家具産業は生産額も就業人口も町で一番の産業で、家族まで含めると、なんと町民の約4割が木工家具産業に関係しているとか。2021年には、東川町が4月14日は「椅子の日」と制定したそうで、町でつくられた家具が、施設など町の至る所で利用されています。

地元の宝「米と水」

日本酒にとって米は命。米の出来不出来によって、日本酒の味は大きく左右されてしまいます。中津川時代も、極力農薬を使わずに育てた地元の米を積極的に使ってましたが、北海道屈指の米どころである東川町に移ってからは、その思いがよりいっそう強くなります。良い米を育てるところから酒造りは始まる。その思いで、「ひがしかわJA」有志と力を合わせ、「彗星」と「きたしずく」2種類の酒米の育成に尽力しています。

東川町は全国でも珍しい「上水道」のない町です。すべての町民が地下からの天然水で暮らし、水道の蛇口をひねれば惜しげもなく出てくるのは、大雪山から届けられる天然の雪解け水。中津川の水に比べて硬度はありますが、素晴らしい品質の天然水であることには変わりありません。その豊かな自然の恵みを余すところなく使って、新しい三千櫻を仕込んでいます。

        

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