越の誉

こしのほまれ

新潟県 原酒造

新潟県柏崎市新橋5-12

原酒造について

柏崎市は、16の海水浴場と刈羽三山に囲まれた自然豊かな町です。この地で創業した原酒造は、江戸時代後期から200年以上にわたり、酒造りを続けてきました。当時、日本海に面した柏崎は北国街道の宿場町であり、北前船の要所として活気に満ちていました。 原酒造は日中国交正常化の際に記念晩餐会の乾杯酒に選ばれ、その後も代表銘柄「越の誉」は数々の受賞に輝いています。

先人たちの決意

明治44年(1911年)、柏崎市で発生した大規模な火災、 柏崎大火。強風に煽られた炎は町を飲み込み、原酒造店の蔵までをも容赦なく焼き尽くしました。建物は全焼し、取引銀行も破産しました。原酒造はこれまでに積み上げてきた全ての財産を失いました。

この状況で一度は廃業を考えましたが、最終的には酒が人々にもたらす喜びと慰めの価値を再認識し、酒造りの意義を見出しました。形ある財産を失いつつも、歴史が育んだ精神と情熱によって蔵人たちは原酒造を再興しました。その結果、威風堂々たる「東蔵」と、36間もの長さを持つ「西蔵」が完成し、天皇陛下御巡幸の際には天覧の栄誉を賜りました。



しかし、原酒造に再び天災が降り懸かります。

試される不屈の精神

柏崎市は2007年7月に発生した「中越沖地震」によって大きな被害を受けました。この地震は震度7で、歴史ある建物も例外ではありませんでした。原酒造が建て上げた「東蔵」と「西蔵」は全壊し、折れた煙突と瓦礫に埋もれた貯蔵タンクは衝撃的な光景でした。社屋の七割が倒壊し、明治時代以前の歴史資料も失われました。長い年月をかけて積み上げてきた歴史がわずかな揺れで一瞬にして消えてしまったことは、計り知れない悔しさをもたらしました。

しかし、幸いにも生産設備、精米機、瓶詰め工場の被害は比較的軽微でした。そして、奇跡的なことに、この甚大な被害の中で社員全員が無事だったのです。もし震災が平日や冬場の仕込み期間であったなら、被害はさらに悲惨なものとなっていたでしょう。

無事だった蔵人社員たちは奮起し、震災翌日から一丸となって復旧作業に取り組みました。割れた日本酒1万本の撤去や、倒壊した土蔵から重機で酒の貯蔵タンクを救出するなど、真夏の炎天下で黙々と作業を行いました。一人一人が被災した中でも蔵に集まり、二ヶ月半でなんとか業務が再開できる体制を整えました。

「こんな時だからこそ、絶対に質の悪いものは出さない。」という強い思いを胸に、蔵人たちは救出したお酒たちを出荷しました。地元や全国からの多くの温かい応援のおかげで、何とか窮地を踏みとどまり、被災からの復興を果たすことができました。

        

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